リンクス管理機構【カラード】。
 戦術的運用面において代替不能な特定個人の資質に依存し、定常戦力として計算するには著しい制限があるものの、その戦闘能力という一点において企業による管理世界の維持に必要不可欠な存在となってしまった存在、ネクストAC――、引いてはその操縦者たるリンクスたちを統括管理する、企業連の下部組織である。
 企業連の下部組織なので本部は当然クレイドルに所在。しかし実質的な本拠地は地上に設けられていた。コジマ粒子によって汚染された地上から逃れるために建造されたのがクレイドルという居住用高空プラットフォームであるのだから、コジマ技術の戦力化によってその戦闘能力を担保するネクストACの、その運用拠点をクレイドルに置けないのは当然である。
 その地上本部とでも言うべき場所がここ、カラードホームである。
 ホームは言わば一つの都市だ。カラード地上本舎となるビルディングを中心に、各企業の研究棟や生産施設、居住区に歓楽街などが設けられ、リンクスやネクストACの関係者だけでなく、彼らの生活を支える一般人、クレイドルでの市民権を得られなかった難民などが多く生活している。
 彼等の生活環境は、お世辞にもいいとは言えない。
 リンクス戦争からこっち、とりわけ多くの“幸せな人々”がクレイドルに住居を移してからは、統治企業連合は地上のコジマ汚染について頓着することはなくなった。酷い言い方をすれば、地上に住むこと自体がある種の自殺行為なのだ。
 カラードの本部はそんな地上の中でも出来るだけコジマ汚染の低い土地を選んで建造されたが、それでもその環境は精々“澄んだドブ水”でしかない。
 そしていずれ“澄んだドブ水”も、遠からず文字通りの“濁ったドブ水”に変わるだろう。
 そんなドブ水の濁りの淵、カラードホーム地下ACガレージ。
 カラードが管理統括するネクストACとその操縦者たるリンクスは、大まかに二種類に分けられる。一つはカラードに籍を置いていながら実質企業直属となっている者たち。そしてもう一つがカラードには属しても特定企業の直属とはならない独立傭兵である。
 ホーム地下にあるACガレージはそんなリンクスたちの内の後者、独立傭兵向けに貸し出される賃貸ガレージだ。独立傭兵でも自前の組織を持つ者はカラードホームの賃貸ガレージを使用せず、独自のACガレージを自身の根拠地に置いているが、そんなのは極々少数派だろう。
 つい先日カラード所属のリンクスとしてミッションデビューした若者、セレン・ヘイズ。
 彼がそのどちらに属するかと言えば、もちろん彼は多数派の独立傭兵、つまりカラードホームにガレージを借りる店子の立場にあった。




intermission.1 > モーニングタイム



 セレン・ヘイズの朝は体調検査から始まる。
 地下ガレージの直上、地上部分は住宅になっているのだが、その寝室で目を覚ましたセレンは、朝起きて寝巻きを着替えてからまず最初にリビングに置かれた簡易型多目的生体検査機器(ヘルスモニター)を使って自身の身体状況を確認する。
 血圧、体温、脈拍、血中酸素濃度、体内残留コジマ粒子濃度測定、脳内ホルモン分泌バランス、その他諸々。
 これらに異常があった場合はカラードリンクス掛かりつけの医院の予約をネットで行う必要がある。コジマ汚染の影響でただでさえ短命になりがちなのがこのリンクスという商売だ。体調の管理には人一倍気を配らねばならない、というのが彼の師である霞スミカの薫陶だった。
 それでは本日はどうか――。
 昨日はセレンにとってある意味記念すべき日であった。
 カラードリンクスとしての初出撃。出撃があったということはネクストACに搭乗したということで、ならば体内の残留コジマ粒子濃度は通常値よりも高くなっているかもしれない。
 医院に行くのは正直面倒だ。あの医者たちのモルモットを見るような視線が気に食わない。
 嘆息してヘルスモニターによる診断が終わるのを待ちながら、セレンは昨日のことに思いを馳せた。
 企業連からの依頼。
 非企業勢力ラインアークへの襲撃。
 ジェネレータの甲高い唸り。
 クイックブーストを噴かすたびに掛かる、骨が軋むほどのG。
 レーザーライフルの発する条光。
 燃え上がるMT。
 崩れ落ちるノーマルAC。
 ラインアーク兵たちの断末魔。
 油断から不意を撃たれた不覚――先生の小さな舌打ち。
 ミッションは成功し、企業連からの評価も上々。ただ師たる霞スミカはセレンの操縦に不満があったらしく、ミッション後は祝杯をあげる間もなくお説教の嵐だった。
 まったく、初ミッションが折角成功に終わったんだ、少しくらいは大目に見てくれてもよかったろうに。
 ため息混じりの思考の矛先が昨日の説教に向いたところでヘルスモニターからアラーム。どうやら突然脈拍が乱れたらしい。思いを馳せるだけでこれだ、つまりそれだけ説教が恐ろしかったということである。馬鹿野郎が、とは師の罵声。思い出すだけでゾクゾクする(あらゆる意味で)。
 フッと遠い目をしつつモニターをリセット。始めから測定をやり直す。
 測定には時間が掛かるからとテレビを点けた。番組はカラードネットニュースソース。クレイドルの最新情報から地上のお茶の間ニュースまで、様々な情報を取り扱う古式ゆかしい情報番組だ。
『――それでは次のニュースに移ります。先日、カラードに新たなる英雄、新人リンクスが誕生しました』
 ぎくりとする。
 ちらりとヘルスモニターに視線を向ければ、案の定脈拍値が跳ね上がっていた。当然のようにアラームも鳴る。嘆息。平常心が無さ過ぎる。
『ニューカマーはまだ20才の青年リンクス、セレン・ヘイズさん。情報によると乗機たるネクストACはストレイドというそうですね。インテリオル・ユニオンの旧標準パーツであるテルースをベースとした中遠距離射撃戦を想定した機体のようです』
 ヘルスモニターの設定をリセットする。測定のやり直しをしようとして、さてどうしたものか。ちらりとテレビの画面に目を向ける。
『彼の初陣は企業の活動を妨害する反動勢力、ラインアークへの牽制攻撃でした。カラード広報課からその際の戦闘映像が届いています。ではVTRをどうぞ』
 セレンは大人しくヘルスモニターの神経接続端子を引き抜いた。
 自分のことをテレビのキャスターが喋っている現状、ただでさえ無いに等しい平常心を保つのは難しい。だがだからといってテレビの電源を切ってしまえるほど自分に対して無頓着ではいられない。世俗に対して枯れ果てた仙人ではないのだ、他人が自分をどう見ているのか、とても気になる。
 ニュースは昨日の戦闘記録の映像を流しているようだった。ストレイドのメインカメラから見た視点、数台の自律観測ポッドから見た視点。それらの画像を切り貼りして見栄えがよくなるように編集しているらしい。
 カラード所属のリンクスはミッション参加後、その戦闘記録をカラードに提出することが義務付けられていることはセレンも知っている。そういう実際的な事務処理はオペレータである霞スミカがやってくれているが、VTRの素材も恐らくそこから来たものだろう。
 それにしても昨日のミッション終了からまだ24時間も経過していない。この短時間でよくもこれだけの映像に編集できたものだとセレンは舌を巻いた。実際にそれくらいに見栄えのいい、カッコいい映像に仕上がっているのだ。本当にこの映像の中の機体を操縦しているのは自分なのか、そう疑いたくなるほどに。
『解説は元GA専属リンクスで、現在は同社でネクストACアーキテクトをしているユナイト・モスさんをお呼びしています。モスさん、いかがですか今回の新人リンクスは?』
『うん、悪くはないね。MT部隊の展開した足場を狙って一網打尽にしている辺り、機転も利くようだ』
『このシーンですね』
 セレンの駆るストレイドが、MT部隊の上手からプラズマライフルで仮説の足場を撃ち抜くシーンがスローで再生される。
『こういう賢さは重要だよ。火力は必要な瞬間に必要最低限だけを叩き込むのが基本なんだ。それが一番難しいんだけどね』
『なるほど。では今回の新人、セレン・ヘイズさんは優秀な新人リンクスと考えていいのでしょうか?』
『新人リンクスの初陣ということで言えば及第点には達している、と評価しよう。ただ彼が本当に優秀であるかどうか、それを判断するにはミッション一つでは足りないな。リンクスに限った話じゃないが正しい評価というのは長期的な観察によってされるべきだからね』
 背後でドアの開く音がした。
「長期的な観察と来たか。フン、リンクス戦争を生き延びておきながら碌な戦果も挙げていない粗製が、何を偉そうに」
 セレンが振り返ればそこには霞スミカの姿が――、
「おはようございます、先せ――……せめて上着くらい羽織ってから来て下さい、先生」
 下着姿の霞スミカの姿がそこにあった。身体のラインを際立たせるような派手なデザインの下着である。不機嫌そうな表情で腕を組んでいるが、彼女のスタイルでその立ち姿をされると、豊かで瑞々しい乳房の膨らみがより一層強調されてしまう。ヘルスモニターを外していてよかったと心底思う。
「今更下着程度で恥ずかしがるほど若くない。お前が気にしなければそれで済む話なんだよ、この色餓鬼め」
 セレンの額をペシッと指で弾き、「ちょっと詰めろ」とセレンが座っているソファの隣に腰を下ろしてくる。
 ところでこのソファというのがまた曲者だったりする。あまり大きいサイズのものではないから、二人で座ろうとすればどうしても密着してしまうのだ。
 年齢を感じさせないきめ細かい白い肌から伝わる仄かな体温。長い髪をかき上げ淫靡に覗くうなじからは、気だるい寝汗の香り。ヘルスモニターによる体調のチェックはいらないかもしれないとセレンは思った。厚手のジーンズにも深く感謝する。当年とって20歳の青年男子は極めて健康的すぎた。なんという色餓鬼。
「こんな粗製が偉そうな面して講釈垂れてるニュースなんかよりも、見るものは別にあるだろう」
 そんなことを言いながらスミカはリモコンをポチポチと操作していた。隣に座る愛弟子の若すぎる反応には全く気づいている様子が無い。
 セレンはスミカがリモコンを操作するたび微かに波打つ柔らかすぎる谷間から全力で視線を逸らし、素数を数え始めた。
「2、3、5、7、11、13、17……」
「いきなりなんだ、セレン」
「頭の体操です。寝起きですので」
 スミカに拾われてからそろそろ一年。
 正式に生徒として認められ、同居を始めてからまだ半年。
 ただ単に男として見られていないだけというのは分かっているのだが、このまるで誘っているかのような無警戒ぶりには未だに慣れない。








◇おかーさんの日記◇
2XX1/4/20
 今日はやつの初ミッション明けの一日ということで、昨日の反省会という意味も兼ねてシミュレータ演習でたっぷり絞ってやろうと思ったのだが、渋々一日自由時間を与えてやった。
 というのもヘルスモニターの診断結果、脈拍がどうにも安定しないようなのだ。
 十中八九私が下着姿で直々に診断してやったのが原因だとは思うが、女の下着姿程度で平常心を乱すような鍛え方をしているつもりはない。まだまだ修行が足らないようだ、あの色餓鬼め。確信犯でやっていた私も私だが。
 まあ体内における残留コジマ粒子濃度も許容範囲だったし、脳内ホルモンのバランスも取れていたから体調的には問題は無いはずだ。ならば初ミッション成功のご祝儀ということで、今日一日くらいは好きにさせてやってもよかろう。
 実際セレンのやつは無表情ながらもうきうきとした様子で街に繰り出して行った。やつが内心浮かれていたのは足取りで分かる。アレで意外と分かりやすいやつなのだ。
 さて、セレンがオフな一方で、私には仕事があった。
 その殆どが昨日のミッションの後処理なのだが、これが意外と骨が折れた。
 弾薬など消耗品の補給の手配から、今後のアセンブリ(機体構成)の企画など、やることは多い。
 特にセレンのやつは、先日のミッションで弾薬費がお小遣いから差っ引かれるのを嫌がってASミサイルを全く使わなかった。お小遣い制が続く限り、今後もあの馬鹿はASミサイルを使おうとしないだろう。使いもしない武装をわざわざ積んでおくなどデッドウェイトもいいところだし、消費ENも馬鹿にならない。
  お小遣い制を止めればいいというだけの話だが、男という生物を管理していく上で財布の紐を握っておくのは重要だ。今後もお小遣い制は継続しなければならない。
 だからASミサイルを下ろして弾薬費の少ない武装プランを考案してやらなければならないのだが、これ、というのがなかなか無くて困っている。
 テルースフレームの特性を考えればオーメル辺りのレーザーキャノンなんかを載せたいところだ。だが、まだオーメルとはACパーツの売買契約を結んでいない。その取っ掛かりを作るためにもその内オーメルグループからの依頼を受けたいところなのだが……果たしてそうそう都合のいいミッションが回ってくるものか。
 悩みは尽きない。

 私事だがセレンのやつめ、街で何をして遊んでいるのかと思えば、初めての給料で私へのプレゼントを購入していたらしい。
 桜の花弁の意匠を凝らしたネクタイピンだ。
 あいつめ、私がこういう飾り気のある物を身に着ける趣味が無いことは知っているはずなのに、これは何の嫌がらせだ。
 全く、こんなもの着けているのをインテリオル時代からの馴染みのスタッフ連中に見つけられたら何と言われるか、今から気が重い。
 適当にあしらう言い訳を今の内から考えておいた方がよさそうだ、本当にあいつは私の悩み事ばかり増やしてくれる。
 出来の悪い子ほど可愛いとは言うが、やれやれ、困った弟子だ。
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